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第2号

今回は、100年以上蓄電池の主流である 鉛蓄電池について特集します。

電池の発見!!

● 電池の歴史は、1800年にイタリアのボルタ(Alessandro Volta)が、一つの液の中に漬けた異種の金属の間に電圧があることを発見したことにより始まります。「ボルタ電池」と呼ばれるこの電池は、希硫酸の中に亜鉛板と銅板を漬けただけの簡単なものでした。その後、1836年に英国のダニエル(J.F.Daniell)がボルタ電池を改良して実用化の道を開き、その後様々な改良を経て1888年ドイツのガスナー(Gassner)により完成され、徐々に実用化されるに至りました。

ダニエル電池
ダニエル電池

ミラクル鉛蓄電池の大発見!!

● 一方、放電だけではなく充電をして繰り返し使用が可能な二次電池は、1859年のフランス人のガストン・プランテに始まります。2枚の鉛板(正極が二酸化鉛、負極が鉛の活物質)の間に2本のテープを挟んで円筒状に巻き、希硫酸中(硫酸水溶液)で充放電をする鉛蓄電池でした。 鉛電池の最大の特徴は1セルで2.0Vという高い電圧を取り出せるということです。従来、水溶液をプラス・マイナス充放電反応の電解液として使用した場合、約1.5V程度の電圧で電気分解がおこることが知られていました。充放電反応より先に水の電気分解反応が発生するようでは、電池として役に立ちません。このプランテの電池は約2.0Vの電圧があるにも拘わらず、水溶液の水の電気分解が極端に遅い魔か不思議な電池なのです。鉛蓄電池は約2.0Vという高い電圧を持つことにより、パワフルな仕事が可能になり、徐々に蓄電池の主流となるに至ったのです。

注意1:参考には、ニッケル・カドミウムアルカリ蓄電池の公称電圧は1.2V。 マンガン乾電池1.2V、アルカリ乾電池1.2V等

ガストン・プランテ
ガストン・プランテ
蓄電池の父といわれる
プランテ式電池
プランテ式電池の原理図

日本での蓄電池製造のはじまり

●日本での鉛蓄電池の歴史は1895年に島津製作所内にて二代目島津源蔵が初めて鉛蓄電池の試作に成功したことに始まります。(弊社名GS Yuasa Power Supplyの「GS」は、この島津源蔵のイニシャルです)。

島津源蔵は、かねて懇意にしていた同志社教授ゲーンズが、任期を終え米国に帰国するにあたって、その蔵書を譲り受けました。そしてデスチャネルの著書「自然哲学(Natural Philosophy)」の中に、蓄電池の原理図を見つけました。しかしがなら、詳しい製作方法が判らず、ポプキンスの「実験科学 (Experimental Science)」をたよりに、1895年(明治28)、ようやくプランテ式鉛蓄電池極板の試作に成功しました。
さらに1897年(明治30)、京都帝国大学に理工課が新設され、島津源蔵もそこに出入りするようになりました。そして、教授の一人から「感応コイルの電源として、蓄電池を作ってほしい」という注文を受けました。島津源蔵は、同志社で使っていた外国製鉛蓄電池の極板を見本として借り受け、ペースト式鉛蓄電池を完成させました。日本における蓄電池の工業的生産の端緒が開かれたのです。
この後も島津源蔵は「易反応性鉛粉製造法」など数々の発明を行い、ようやく日本の電池は世界で認められていくことになるのです。

ペースト式鉛蓄電池
初期の携帯用ペースト式鉛蓄電池
(複製、島津創業記念資料館所蔵)

1世紀を超える主要蓄電デバイス「鉛蓄電池」

●現在も自動車バッテリー、コンピュータ、通信機器の無停電バックアップ電源装置、バッテリーフォークの動力電源等、中、大容量の蓄電デバイスとしては依然鉛蓄電池が主流です。前述のように単電池として2.0Vというパワーを有していることに加え、鉛電池の扱いやすさも普及の要因でもありました。鉛電池は古くからリサイクルが行われており、使用スミの鉛電池はリサイクルされてまた鉛電池に生まれ変わるという体制が確立されていました。回収された資源がまた同じ製品にリサイクルされるという理想的な循環スタイルは他に類を見ません。1世紀を超える長い期間主要デバイスであり続け、今後もまだまだ最先端の蓄電デバイスでとして成長を続けていくものであると考えられます。


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